
Ryo Fujimoto
儀式 / ヴォイス / 身体 & サウンドアーティスト
1987年、兵庫県神戸市生まれ。
藤本亮の表現活動は、「生存と変容の場」としての身体に深く根ざしている。 14歳で父の急逝に直面した際、彼は音楽としてではなく、自らの生存を確かめるために声を発し始めた。そこで生まれた根源的なビートの振動が、彼の創作の原点となった。
その後、日本人として初めて欧州の主要ビートボックス・エージェンシーと契約し、10カ国40都市でのツアー、Human Beatbox Convention(ロンドン)、World Beatbox Championship(ベルリン)に出演。「Humanelectro」と呼ばれる声と電子音を統合したパフォーマンスは国際的な注目を集め、Ableton Live、Gizmodo、CoDesign(NY)などで紹介されたほか、Robert Glasper、Bill Summersといったグラミー受賞アーティストとのステージ共演にも至った。
2015年、イスラエル/パレスチナ地域における暴力と紛れも無い差別に直接向き合った経験は、彼が依拠してきた「身体の言語」を根底から破壊した。崩れたのは技法ではなく、技法が成立する前提そのものだった。残ったのは「証言としての音」、生存のための呼吸、そして存在を表す最も荒い信号としての声だけである。これを境に、藤本は約10年間、大規模な舞台から距離を置き、沈黙・身体・儀式を軸に方法論そのものを再構築する期間へ入る。
2024年に再始動した現在の実践は、もはや"音楽家の身体"ではない。
長年の訓練によって書き換えられた「身体OS(bodily operating system)」前重心、微浮上する踵、蛇行する揺れ、呼吸ではなく反射によるビート生成から成る「第二形態の生理学」を基盤としている。
藤本にとって「儀式」とは、象徴や精神性ではなく、身体が四つの状態を往復しながら、音・時間・動きが自律的に立ち上がるための
生成の条件である。
1. Wild Voice / Sakebi(前人間的・野生)
2. Beat(動物と人間のハイブリッド)
3. Song(人間的)
4. Electronics(非人間的・物質)
これらの状態は文化以前の記憶を呼び起こすかのように自律的に立ち上がり、音・時間・運動が自生する環境を形成する。音は「作曲」されるのではなく、生命の強度として生起する。空間は揺れ、満たされ、ひとつの生態系として自ら生成していく。藤本の作品は、個人の表現ではなく、「生きた生態系の起動」である。
彼がいま問い続けているのは、もはや「何を表現するか」ではない。
「損傷し、再構築された身体は、感受性を失った世界といかに再び接続しうるのか。」




